6月18日(日)少子化問題について考える‥

 考える、といってもスケールの大きな問題なので自分が思いついた事を少し書くだけですが‥。

政府が考える「お金」の部分だけで(まあ、実際はお金だけではないのですが)本当に少子化を食い止めることが出来るのかと、疑問に思う方も多いのではないでしょうか。そもそも前回に書いたように、現代は「コスパ」「タイパ」の時代です。であるならば、結婚自体がいわゆる「オワコン」であり、コロナ禍もあってますます結婚する人が減ってきています。子育ても同様。コスパやタイパが悪いですよね。新しく増える親戚、仕事への取組み方、産休や育休‥考えるだけで「もういいや」思う人が多いのは頷けます。もちろん、そういった考えを払拭していくための方策が政府の「異次元の」という枕詞がついた政策なのでしょうが。

 加えて、最近通勤して思うことは、スマホに熱中している人が多く、以前書いたと思いますが、スマホをいじりたい為に必死で優先座席を取りにいく若者。高齢者が目の前に立っているのにわからない学生。少し詰めればもう一人座れるのにスマホに夢中で気づかない中年の人たち。もちろん、電車から見る光景や通勤途中の風景が変わっても(季節が移り替わっても)その様子に気づくことは全くありません。前から車が突っ込んできてもわからないでしょう。ナイフを振り回す人が目の前にいても気づかないかも知れません。

 このことは何を意味するかと言うと、人間が本来持つ「危機察知能力」が失われつつあるということのように思います。これは人間の本能ですね。現代人はスマホに限らずあらゆる最新の機器のせいで、この「本能」の部分がかなり弱められつつあるのではないかと感じています。結婚して、子供を産む。これは種の保存からしても「本能」だと思うのですが、その感覚が弱いので結婚もしないで子供も作らない。こう考えると政府が何をしたところで有効な策にはなり得ない、そんな気がするMr.Bなのでした。

4月29日(土)Chat GPT ✖ 教科書が読めない子供たち ✖コスパ重視

 今話題のChat GPT。すごい世の中になってきましたね。その凄さは既に色んな記事等でご存じでしょうから、敢えて割愛しますが、私が気になるのは、読解力が無い子供達が増えている状況下でのChat GPTの使われ方です。表題の一部の「教科書が読めない子供たち」というのは数年前ベストセラーになった、新井紀子氏が書いた「AI vs. 教科書が読めない子供達」という本のタイトルから取りました。

 ぶっちゃけ、教科書が読めなくても(=読解力が無くても)、Chat GPTがあれば何とかなっていく世の中になるのかもしれない、というのは恐ろしい世の中です。意味が分からない人が意味が分からないまま文書やレポートを提出して、本人は意味がわかっていないが、形だけは整っているという‥。本来、読解力と言うのは年月をかけて、じっくり取り組んでいってこそ身につくもの。それがChat GPTで「すっとばす」ことが出来る。しかも最近はコスパ重視だから時流にも合う。「大学のレポートなんか、いちいち調べてられないもんね」なんていう学生の声が聞こえてきそうだ‥。

 要は、あまり努力しないで、時間をかけずに、しかもある程度高品質なもの(レポート等)が出来上がるということですね。読解力が低下している若者たちが、コスパコスパと叫ぶ中、Chat GPTが出現。言い方が悪いが「泥棒でもしようかと、(何も考えずに)ある家の周りをウロウロしていたら、その家の鍵が目の前に落ちていた」みたいな。

 これからどうなるのでしょうか。環境問題や食料問題、戦争や紛争を含め、このAIが作り出す事象は、今後10年位の間に人類を大きく変えることになりそうな、そんな入口に今、私たちは立っているのかもしれません。

 

4月になりました‥

 ちょっと更新をサボっていると、アッという間に4月‥(汗)。そう、そしてこの時期は出会いと別れの季節。随分と年月は経ちましたが、入学式や始業式、卒業式はうろ覚えながらも中学の卒業式辺りからはずっと覚えています。

 

 中3の卒業式には担任の先生が一人ひとり別室に呼んで、各自が先生のテープレコーダーに自分の「将来の夢」を吹き込みました。当時、ちょっとクラシック音楽好きだった私は「指揮者になる」なんて恥ずかしいことを吹き込んで、後で言わなきゃよかったと後悔したのを覚えています。

 

 高校の入学式は、式自体はあまり記憶にないのですが、その入学式の前日か何かの日に音楽の先生に「今から校歌を練習します。入学式以降は、卒業式まで歌うことは無いので一生懸命やりましょう」みたいな事を言われて、「そうか、次は卒業式まで歌わないんだ‥」と変に感心して校歌の練習をしたのを思い出します。

 

 大学の卒業式では同級生の就職先を紙で印刷されたのが配られ、見てみると所謂「超一流企業」が並ぶではありませんか!「そうか、みんな凄い企業に就職を決めたんだな」と客観的に思ったのと同時に、自分の大学を誇らしく思ったのを覚えています。

 

 さて、入社式。強烈に覚えているのは、前日に自分の名前を大声で言ってから席に着く、という練習です。何人も何人も「声が小さい!」とやり直しをさせられた後に、ついに自分の練習の番が回ってきた。当然、不合格。なぜかと言うと元々地声の小さい私は多少大きい声を張り上げても、指導職員を満足させることはできないからです。何回かのやり直しの後、やけくそで(遠慮とか恥とかをかなぐり捨てて)言い換えると「死んでもいい」くらいの気持ちで自分の名前を張り上げて叫んだら「合格!」の声が聞こえました。

 当初、軍隊のようなこのやり方に半分というか9割くらい「何の意味があるのか」と思っていた私ですが、実はこの時(少々大袈裟に聞こえるかもしれませんが)捨て身で何かをすれば、出来ることもあるのだな、と感じた瞬間でもあったのです。

 

 社会に出て働けば、必ず毎日といって良いほどトラブルに出くわします。その困難にどう立ち向かうのか。一つひとつ同僚や上司に助けられながら成長していくしかありませんが、一番大切なことは「気持ちで負けない」ということでしょう。先ほどの声出しも、最初の2,3回は「俺はもともと声が小さいし、そんな大きい声は出ないよ~」と自分で思っていたのだと思います。

 

 自分が持っている能力は無限大。新しい季節ですし、自分で線引きせずに、新しい事にチャレンジしていきましょう!